リメンバー・パールハーバーとジョン・レノンの記念日に・・・
【戦争と平和とわたあめ】
日本時間 12月8日 アメリカ時間 12月7日 は真珠湾攻撃の日。
アメリカでは、広島、長崎への原爆投下の日には何も報じないのに、
この日には、人口2万人足らずのこのセドナの地方紙にすら
真珠湾攻撃が、多くの人の人生を変えてしまった、という記事が載るほど
Remember Pearl Harbor は定着しているのです。
それは、ひとつに、国というのが、
(どこの国ということではなく、国家という体制そのものの性質として)
国民に、自分達が加害者であることは忘れさせ
被害者であることを強調することで
ナショナリズムというものを植え付けようとしているのではないか、と思われてなりません。
ゆうべは、TVJAPAN で、「坂の上の雲」 を見ておりました。
日露戦争の旅順をめぐる戦いを見て、戦争というそのものについて考えさせられました。
そんな夜に見た夢にしては奇妙なのですが、夕べ、こんな夢を見ました。
長い夢のほんの一部しか覚えていないのですが…
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お祭りのようなところへいくと、わたあめが売っていて、それを見ながら
私は、いったいわたあめというのはどんなふうに誰が考えて
出来たのかなあ、と考えている。
すると、そのわたあめは、普通のわたあめではなく、
中にキリスト教の聖人たち(聖フランシスとか、聖ニコラスとか、聖ジャーメインとか)の人形やカードが棒についていて、食べていくとそれらが出てくるというものだった。
そんな形で子供たちに、教えをもたらそうとしているのだなあ、と思った。
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一見、なんの関係もないようですが、目が覚めてから、私が夕べ感じていたことと、
この夢との関連を考えてみました。
私は、実は、わたあめが子供のころから好きではありませんでした。
普通、子供なら、お祭りにいくと、親にせがむのが わたあめなのでしょうが
私は、ただただ甘いだけの わたあめ が好きではありませんでした。
ですから、親にせがんだこともありませんでした。
ただ、わたあめを作るところを見るのは好きでした。
ザラメが、あのわたあめの機械に入ると、綿毛のようになって棒にからまっていく様は
なんといっても不思議な光景で、見ているうちに
催眠術にかかったように、祭りという非日常の情景に自分が溶けていくような感覚。
私にとって、日本のお祭りの象徴のような わたあめ の中に
なんでキリスト教の聖者がくるまれていたのか。
私は、中学校から東京の恵泉女学園というキリスト教を教育の軸とする学校へ通っていました。
もちろん、聖書はひとつの科目としてありましたし、礼拝も毎朝ありました。
クリスマス近くになると、クリスマス奉仕と言う時間があったり、園芸の時間があったり、
とてもユニークな授業があり、素晴らしい学校でした。
でも、プロテスタントであったので、ほとんど、カトリックの聖人については
あまり学んだ記憶がありません。
ですから、私にとって、その聖人というのは、キリスト教というそのものよりも、
一つの宗教観、或いは思想というものだけを
わたあめ に包んで、洗脳することを意味しているのではないか、
と考えました。
それは、言ってみれば、
祭りにしても、戦争にしても、ある特殊な状況下、
非日常的感覚の中での洗脳 ということを示しているのではないか、と。
それがどんなに素晴らしい考え方に思えたとしても
それのみを唯一の価値観として捉えてしまった時、
人間は、それを 「正義」 という名分に変えてしまう危険を伴うのだと思います。
親もあり、子もあり、家族もあり、友人もある
一人の良心的な人間が
殺人という、どう考えても
非人間的行為を行うめには
「正義」 という名分が必要となる。
戦争は、そんな人としての良心を
自分の持つ価値観の中の「正義」ではなく
国という価値の中の「正義」に置き換えさせ、
名前をもち、自分の人生を生きていた者を
国という名の元に、
無名化させ、統計上の数字と化してしまう。
そして、死んだ時、初めて彼は、家族や友人の中で
名前を持った一人の人間に戻っていく。
「坂の上の雲」 を見ながら、そんなことを思いました。
そんなことは、絶対にあってはならないことです。
911 のテロが起こった時、真珠湾攻撃と同じようなことが
アメリカ国民の心理に起きたと思いました。
知識もなく、様々な背景など知ろうともせず、
ただ、「アラブ」 という抽象的な表現で言い表わした敵を作り
戦争を正義に変えようとするような不穏な雰囲気がありました。
私の友人は、車にインドの聖人の写真を飾っていたら、
それをアラブ人だと思われ、通報され、警察が来た、と言っていました。
個人の自由を尊ぶ民主主義の国、のはずですよね???
そんな中、アメリカが再び、徴兵制を取るという噂がたちました。
私の息子はティーンエイジにさしかかっていましたから
それは、私にとっても他人事ではありませんでした。
私はセドナの地元のシュタイナー教育の学校で
日本語とアートを教えていたのですが、
若い日本人のさりたちゃんという子が、私と入れ替わりに
日本語を教え初めていたので、彼女と一緒に何かできないか、と話し合いました。
それで、私は子供たちに、「広島のピカ」を英語で読み聞かせ
子供たちに、なにがあっても平和を選択する権利を
私達は持っていることを伝えました。
それから、子供たちに千羽鶴を折ってもらい、
WE WANT PEACE というメッセージと一緒にホワイトハウスに送りました。
とにかく、子供たちを
「敵」を作り、「正義」のために戦うという洗脳から守りたかったのです。
平和を創り出すために
私達ができること。
それは私達自身が、ぶれないしっかりとした価値観を持ち、
名前をもった人間であることを保ち続ける、ということから始まるのではないでしょうか。
今この瞬間も、ゆがんだ 「正義」 の名分の下
どこかで戦いが続いています。
この地球から戦いがなくなり、
100% 平和なハーモニーを奏でる星となりますように。
心から祈ります。
The war & Peace & Cotton candy
(I wrote this 2011 and translated now on 12/8/2014. Sorry about my broken English)
Japan time: December 8 American time: December 7
This is the day of “ Remember Pearl Harbor”
I feel it is big deal for Americans.
Sedona is such a small town less than 20,000 residence, but even this small town’s local news paper writes about “ Remember Pearl Harbor” and says that this attack changed so many people’s life while no mass communications talk about the day of Hiroshima and Nagasaki in USA.
Why is that?
I think first of all, a Nation (not specific which country but as a nature of a Nation itself) is trying to emphasize that we are the victims, not the assailants and trying to implant Nationalism that way into our brain.
The night I watched a TV drama about Japan – Russian war, I had the dream like this one:
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I went to some festival and there was a cotton candy stand.
As I was watching the cotton candy was forming, I was thinking myself how and who came up with the idea about cotton candy.
That cotton candy was not ordinary one, but dolls or cards of Saints (like St. Francis, St. Nicolas or St. Germaine etc.) were attached to the stick and it would come out as you eat the candy.
I thought that was how brain washed the children.
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This dream doesn’t look like nothing to do what I trying to say now. However, it has connections between the thoughts.
I didn’t like cotton candy when I was kid. Most of the kids ask their parents to buy cotton candy at the festival, but I had never liked the cotton candy, because it was too sweet for me.
So, I had never asked my mom to get one, however, I used like to watch how the cotton candy was made.
I always felt very hypnotic to see how sugar turn into fine strings and forming into cotton candy and I started to feel like moving away from daily life and melting into fantasy of the festival.
I was wondering why Saints were inside of Cotton candy, which was a symbol of Japanese festival for me in my dream.
I went to Christian school for 6 years between 12~18 years old.
We had morning services every day and we had to study bible as a subject at school.
However I have never learned about Saints because it was protestant, not Catholic school.
That is why I think those Saints in my dream was not about Christianity, but symbolizing some religious idea or some philosophy and wrapping them inside cotton candy is symbolizing about brain wash one particular idea or philosophy into us.
In another words, my dream is about how easy to be brainwashed when some particular idea or philosophy was wrapped in the cotton candy under special state of circumstances.
Even though it sounds like a wonderful idea, we have risk to change the idea as “ Justice” when we are brainwashed by one value.
We all have parents, children, family and friends.
We all are good human beings.
But under the name of ‘ Justice’ we all have potential to become murder.
Under the war, we are forced to have ‘ Justice’ by the value of Nation, not by the value we have as a human and we come just statistic numbers instead of person who have a name and its life.
Only when we die, we can go back to human who have its own name among family and friends.
It should never happen.
I felt that the same kind of mental state as “ Pearl Harbor” occurred when 911 happened.
I felt that the government was trying to justify the war by making abstract enemy under the name of Arab.
One of my friends had a picture of Indian Saint in the car attached to the back mirror.
Then somebody called the police because that was a picture of some Arabian man.
He told me that he couldn’t believe actually police came to ask him about it.
There was rumor that US government might draft the men around that time.
My son was about becoming teen age, so it was not somebody else business for me.
I used to teach Japanese and art at Waldorf School back then and I discussed with a new Japanese teacher what we could do.
We decided to read “ Hiroshima no Pika” (a picture book about a girl who experienced Hiroshima) and told them that we have right to choose the Peace no matter what.
Then we asked children to make “ Senbazuru” = one thousand Cranes as symbol of peace and sent them to White House with the message “WE WANT PEACE”.
I wanted to protect out children from being brainwashed to create the enemy and fighting for ‘ Justice’
What can we do for creating the Peace?
I believe it starts from ourselves having firm foundation of value and no matter what we are going to keep ourselves as human who have names and never become just statistic numbers.
Even now, there are wars under the name of “Justice”.
I pray from the bottom of my heart that we can eliminate all the fighting and create 100% Peaceful Harmony on Earth.
IMAGINE ALL THE POPLE LIVING LIFE IN PEACE!
by John Lennon